| 2011.3.11.震災より一年半過ぎましたが、街も人も飲み込んだ津波の惨さは、いまだに悲しみも辛さもぬぐいきれません。 石巻教室では門下生4名亡くなり、まだ見つかっておりませんし、家ごと全てを流された9家族は仮設住宅に住んだり、石巻を離れてしまっています。
 特に悲しいのは、お子さんを亡くされた方々で、心から笑うことはありません。その方々と接しておりますので、私たちも心を痛めております。
 その惨状の中、門下生は音楽を続けてくれていて、ピアノを弾いたり歌を歌ったりしている姿を見ますと「音楽が好き」で音楽に癒されているんだな…と思うと胸が一杯になります。
 国や県などの支援はなかなか身近に感じることができないのですが、個人的には沢山の方々から物心両面からご支援をいただいており「人とのつながり」と「やさしさ」に包まれており、心より感謝いたしております。
 震災当時よりは片付きましたが、瓦礫との闘いは今でも続き、現実の厳しさは変わりません。
 震災後1ヶ月過ぎた4月20日には、12年間介護していた母も亡くなったこともあり、東京での自立を決め、昨年6月より東京教室を開いてからは、沢山のご縁をいただいていることも感謝です。
 これまでも石巻でリサイタルやボランティア活動を続けてまいりましたが、東京でも演奏活動や教室を開いて歌唱指導できますことも幸せです。
 「音楽」を愛し、学び、継続し、それを社会貢献へとつなげ「音楽の喜び」を伝え「出逢い」を広めたいと思っております。
 「音楽」と「人」の輪が広まりますように…。
 | 2011年3月11日(金) 14:46 この日を、私たちは忘れません。
 東北、関東に多くの犠牲者を出した災害でしたが、私の住む宮城県石巻市も甚大な被害を受けました。
 石巻市の犠牲者は、行方不明者を含め3,735名。
 大きくない町です。誰しもが、家族・親戚・友人・大切な人を失いました。
 宮城県全体では11,232名の犠牲者ですから、約3割が石巻地方ということになります。
 石巻は漁業が盛んな町で、リアスの美しい海から、たくさんの恩恵を受けてきました。
 津波により、壊滅してしまった小さな集落や漁港。
 海の猛威を受けてなお、また船を造り、生活の糧として生きていこうとする人々。
 やがて町は、少しづつ復興が進み、私たちは新しく姿を変えたその町並みを認識していくでしょう。
 けれど物理的な復興とは反対に進むことが困難なものがあります。
 心の復興。
 震災は、人や動物の命だけを奪ったのではなく本当にたくさんのものを奪いました。
 住み慣れた家。町並み。故郷の景色。
 残された者は、これからの人生を喪失感とともに生きていかなければならないのです。
 そんな、やりきれない心情のささやかな支援になれればと思い、私は歌っています。
 人は、悲しい時には歌を聴き、楽しい時には歌を歌ってきました。
 音楽の持つ力が、きっと「心の復興」の手助けになれることと信じています。
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